今回の母の日には、母達にお花をあげることが出来ませんでした。
一緒に住んでいる実母と主人の母が、11日に福島に帰る予定だったため、お花を持って行けないということで今回はプレゼントすることが出来なかったのです。
写真のお花は、茨城県にいる妹が三重に送ってくれた母の日のお花です。
川内村には持って行けないので、ここに置いていってしまいました。
今朝、主人の両親と私の母が福島に帰りました。
帰る理由は人様々です。
いろいろな事情があり、家族がバラバラになってしまいました。
一つの家族が今回の原発の事故のために、こんな風になってしまったこと、許せません。
我が家は、家族が3か所に分かれ生活しています。
地元に住めなくなったうえに、家族がバラバラ、心にも隙間が出来はじめています。
私は、子供を放射能の影響から守るため、こちらでの避難生活を選択しました。
しかし、子供4人、母一人での生活をいつまでしていけるか。
子供たちを守るためには、私の忍耐と体力が勝負になってきます。
これからも、苦悩の日々が続くのかと思うと、心の底から子供と笑えない自分が悲しく思えます。